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なんやかんやなブログ

気の向くままに書きます!

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これは、数年前に大雪が降った日のことです。私が住んでいる地域は、確かに東北に近いですが、一応、関東なので、雪はたまに降りますが、こんなに降ったことは始めてでした。

その日は、遅くまで仕事で、うちの会社、職場から駐車場まで10分程度歩かなければなりません。

そして、傘をさして駐車場で向かったとこ、もうかなりの雪が降り積もっていました。一応、車に乗り、エンジンをかけたものの、タイヤが雪に埋もれて動きません。

その日は残業だったので、駐車場には、自分しかいません。

寒いし、暗いし、心細いし、雪はまだ降ってるし、孤独に打ちのめられそうでした。

実家や、彼氏に電話したって、迎えにこれる訳ないし、とりあえず、車の周りの雪を掻けば出れるはず。でも、雪掻きの道具なんて持ってないし、若い女の子に人気のアパレル系で働いている私の服装は、雪掻きに不向きでした。

どうしよう?泣きたい。

その時でした。どこからか、雪掻きのスコップとレインコートとブーツを持って、一人のお姉さんが車の前に立っていたのです。

お姉さんは、この駐車場の前に住んでいる人で、あまりの雪のすごさに、駐車場の人が帰れるか心配して、窓からちらちら見ていたそうです。

このお姉さん、もうお風呂に入りレインコートの下は寝巻きだったのにも関わらず、

「一緒に雪掻きしましょう。」

と言ってくれて、私に持っていたレインコートと長靴を貸してくれたのです。

孤独で泣きそうだった私はそれだけでも、救われました。

しかし、今だに降り続く雪の中、女二人で雪掻きして、すぐ車が出れる訳がありません。

すると、お姉さんが、

「うちに、泊まる?汚いけど(笑)」

と言ったのです。初めて会った自分を泊めるとか、普通、そんな人いませんよね。

さすがに遠慮して、雪掻きを続けましたが、お姉さんの優しさに感動して泣きそうでした。

それから10分ぐらい、雪掻きした結果、ようやく、車が出れそうになりました。

気づくと、日付が変わっていました。

初対面の私に、ここまで、優しくしてくれたお姉さん。

お姉さんの家からこの車まで、雪に埋もれて歩くのも大変だったはずなのに、出てきてくれたお姉さんに本当に感謝しています。

人にここまで優しくされたことないから。

帰り道、感動してやばかったです。

世の中捨てたものじゃないなと思いました。
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私の声に対するコンプレックスは、「とにかく声が小さくか細いので、通りにくい」ことです。幼稚園や小学校の頃は全くコンプレックスが無かったのですが、それを初めて自覚したのは中学校時代です。

中学生にもなると、授業中にクラスメイトの前で意見を言ったり、スピーチコンテストや朗読発表会などで、大勢の前で声を出す機会が多くなりますよね。その際、私はいつも通りの声で普通に発表していたつもりなのに、先生や友人数人に「聞こえにくい」と指摘された事で、初めて「あ、自分は声が小さいんだ」と気付きました。

それで意識的に人前で何か発表する時には大きめの声で話すようにしていたのですが、それでも「小さい」「聞こえない」と言われ続けました。大きめの声で喋っているのに何故…と悩んでいたのですが、その時の担任の先生の指摘で疑問が解けました。

「●●さん(私)は声が細いからね。(体型が)小柄で細いからってのもあるのかもね」と。ここで初めて自分の声質が明確になったのです。

しかし既に遅く、私の中で自分の声質はコンプレックスになっていました。小学校時代は合唱部で、声にはそこそこ自信があったから余計にです。

そんなこんなで中学校時代すっかり出来上がった声に対するコンプレックスの為に、高校、短大は、まるで声を使わなくていい部活や学科を選びました。そしてますます声は小さく、か細くなりました。

ですが最大の難関は短大卒業後でした。その頃は丁度就職氷河期と呼ばれた時代です。どこを受けても内定をもらえず焦っていた私は、最後に駄目もとで受けた市の嘱託職員の面接にようやく通り、採用先を見て愕然としました。

地元の小学校の事務の臨時職員です。小学校の先生と言えば大声で子どもを呼び、授業をし、号令をかけます。大声を出さない日など無いほどです。私は事務の採用だったのですが、担任を持つ先生が研修などで出かけないといけない時は自習や帰りの会の監督係としてクラスに入らないといけませんでした。

堂々としていないと、子どもと言えども舐めてきます。で、常に限界まで大声を出して「隣の人と話さずに自習しなさい」「寄り道しないで帰ること」などそれらしいことを大声で伝えたりしないといけず、そういう日が続いた時は喉が荒れて数日声が出ませんでした。でもそこまでやらないと、クラス全員に聞こえなかったんですよね。

それだけが原因と言うわけではないのですが、この職場は向いていない、と感じた私は、結局2年後にそこを辞めました。

勤めている間は常に喉がガラガラだったのに、辞めてからと言うもの喉の調子が良くなってきました。で数ヵ月後、アルバイト募集の広告を見つけて面接希望をし、面接を受けて合格し、今そこで働いています。

働いているのは本屋です。自動ドアが開くたびに「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と大声で言うルールがある職場です。



こんなに声に対してコンプレックスがあるのに、働く場所は常に声を使う職場を選んでいる私。矛盾してるなあと最初は思いましたが、実際働いて色んなお客さんを見ていると、私と同じかそれ以上にか細い声や小さい声の方、或いは逆に、声が大きいのに聞き取りにくい方など色んな声の方がいて、自分の声はそこまで悪い方ではないのかな、と思えて,
最近少し自分の声を肯定できるようになっています。
7歳と2歳の男の子を育てています。我が家は、ベビーゲートが出来ないL字型のキッチンなので、とにかくキッチンではいろいろな事が起こっています。長男の時には扉が開かないように、キッチン、冷蔵庫にロックを取り付けましたが、全て破壊され今は残骸だけが一部残っています。そんな状態の中、長男がハイハイの時期だったと思いますが、ある時料理に集中してしまって、ふと足元を見るとごま油の海が広がっていて、手でバチャバチャと遊んでいました。ビックリして叫んでしまい、長男もその声に反応してびくっ!となり、2人でしばらくかたまっていました。油なのでどうしたら良いのか分からず、ウロウロしてから、とりあえずお風呂場に連れて行き洗いました。洋服は洗濯しましたが、においが落ちず、結局捨てることになりました。しばらく、部屋がごま油臭かったのは言うまでもありません。

1歳を過ぎた頃にもまた事件があり、上の階で洗濯物を干している時に、今度は小麦粉を派手にばらまいていました。床一面小麦粉だらけでしたが、顔にも小麦粉を付けながら、とても楽しそうに走り回っていました。ごま油よりはいいかぁ~と、思える自分がいたりして、写真まで撮ってしまったくらいです。今ではその笑顔の写真は、とても良い思い出になっています。あと、またまた洗濯中のことですが、お砂糖の入れ物をかかえて、美味しそうになめていた時もありました。そりゃあ、美味しいよね!!と共感してしまった記憶があります。

次男は、とにかく氷が好きで、一時期氷を食べ放題の時がありました。扉にロックを付けても、また壊されるんだろうと思って放っておいたのがいけなかったのですが、案の定しばらく下痢がひどかったです。あと、今でもよくやっていますが、調味料をしらない間に全部出して、綺麗に並べています。ざるやボールもよく並べています。彼にとっては、ミニカーや電車を並べるのと同じ感覚なんだろうなと思っていますが、正直片づけるのは本当に面倒くさいです。

私のメガネですが、一人に一個づつ壊されて2度買い替えました。扇風機もぞれぞれに同じような倒されかたをして羽が割れて、2度買い替えました。そんな、ところは似なくていいのになと思います。

次男はイヤイヤ期真っ盛りで、まだまだこれからいろんなビックリすることをやってくれそうですが、一呼吸おいて一緒に楽しめるくらいの余裕があったらいいなと思います・・・が、実際なかなか思うようにいかない毎日です。
とあるメーカーに勤めていたときのことです。ある商品に関する苦情と質問の電話が、ショールームから私のいた商品企画部に回されてきました。私はまだ新米だったのですが、私の経験のために、先輩が私にその電話に出るように言い、私が電話をとりました。


少し前に、新人研修で、「お客さまのふりをして、こちらの開発状況を探るライバル会社の関係者もいるということを頭に入れて、社外では言動に気を付けるように」という話をされていたこともあり、また、偶然、その電話のお客さまの声が、仕事で関わりのある調査会社の女性スタッフの声にそっくりだったこともあり、なぜか私は、その女性スタッフがライバル会社に依頼された調査もしていて、うちの会社に電話してきたのではないかと疑ってしまい、妙に警戒した対応をとってしまいました。


本来、私の部署では完全には把握できていない機能についての苦情だったし、まだ電話代が高かった時代だったので、お客様の電話代を考えたら、「こちらの担当部署からかけ直させます」と言ってとっとと工場の担当者に回すべきだったのですが、ライバル会社の調査かもしれないと思い込んでいた私は、自分で中途半端な回答をしてしまいました。


結局途中で先輩に相談したら、「工場に回しなさい」と言われたのですが、まだお客さまを大切にするという基本姿勢が身についていなかった私は、工場の電話番号を伝え、そちらに電話してくれるように電話の相手に言ってしまいました。


後で思うと、中途半端な私の回答よりも何よりも、「工場から電話させます」ではなく、「工場に電話してください」と言ってしまったことが、最大の失敗だったと思うのですが、当時はパニクっていて、こちらから電話させると言わなければいけないことに気づきませんでした。その段階で電話の相手は怒ってしまったので、先輩が電話を代わってくれて、謝っておさめてくれました。

先輩のほうは、私への指導がまだ十分でない状態で私に電話をとらせたことを反省したみたいで、私は先輩には叱られず、それがまた申し訳なくて申し訳なくて、私は他の部署の仲の良い同僚のところに話を聞いてもらいに行ってしまいました。

私が席を外してなかなか戻ってこなかったので、先輩が私を探しに来てくれて、「君は、今日はちょっと失敗しちゃっただけだから、次に頑張ればいいからね」と声をかけてくれて…今思い出しても先輩のやさしさと自分のふがいなさに涙が出ます。

社会人になって5年ほどたった時でした。元々地方で働いていたのですが、それなりに成果を上げていた私は幸か不幸か本社に転勤となりました。本社には大型ユーザーも多く、売上金額も営業所とは丸っきり違っていました。

本社勤務になってからは私も大型ユーザーを任されるようになりました。そのユーザーは私の上司であった部長が開拓したお客様であり、パイプと非常に太いお客様でした。そんな大事なお客様を任されたことに非常に使命感を得ていました。

そもそも私の会社は商社であり、お客様に商品を卸すことで売上を得ていました。そんな私の大型ユーザーさんは常にそのユーザー専用の商品を特注で作っていました。数が莫大なためうちの会社で常に在庫を持っている状態だったのです。常に在庫を抱えては必要な数を必要な時に持っていくことが大切でした。

そんなある日、私はやってしまったのです。先方からしばらく発注数が伸びるため、十分な数量を手配しておいて欲しいと依頼を受けていました。当然会社としても断る理由もなく、手配を許可されます。社内システムに登録し、注文書を出すまではよかったのです。こともあろうことか、FAXするのをどうも忘れていたようです。その時に注文書がちゃんといっているか確認することを怠ったのも最悪でした。

問題の発覚は2ヶ月ほどしてからでした。特注品のため納期が非常にかかるものなのですが、状況を確認したところ手配されていないというのです。その時に送り忘れが発覚しました。何より、その時点でユーザーからの依頼数量に足りなくなることがわかってしまったのです。

すぐに上司に報告しましたが、かなり怒られました。怒られるといった次元ではありませんでした。大型ユーザーをなくすぐらいの問題でした。なぜなら生産を止めると賠償問題になるからです。

社会人になって初めて泣いてしまいました。そこからは社長までが動いてくれてメーカーに大至急製作を依頼してくれました。私も現場にいって頭を下げるばっかりでした。徹夜での作業まで組んでくれて、結果的にはなんとか生産を止めることなく、大型ユーザーにばれることなく乗り越えることが出来ました。しかし、無理やり人を動かしたことで、会社には大きな赤字を与えてしまいました。

自分でも信じられないような痛いミスでした。二度とこんなことにはなりたくないと気持ちを入れ換えて働いています。
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